― 世界を変えたパットの先に見えた“ふるさとの光” ―
(語り手:かばん太)
2021年4月11日。
あの日、テレビの前で息をのんでいたのは、きっと僕だけじゃないはずです。
松山英樹さんが最後のパットを沈め、日本人として初めてマスターズを制した瞬間。
世界中が沸き立つ中で、彼の心には松山市の景色がふっと浮かんだといいます。
「故郷の優しさが、僕をここまで連れてきてくれた」
幼い頃から支えてくれた街の空気、家族の声、練習場の芝の匂い。
あれら全部が、グリーンジャケットよりも温かく胸に広がっていたんじゃないかと、勝手に想像してしまうんです。
🌱 幼少期──松山市で育まれた“クラブと家族”
松山市で生まれ育った英樹さん。
4歳でクラブを握り、自宅の駐車場や庭がそのまま練習場。
僕らが遊び場にしていた場所で、彼は未来のマスターズ王者としての第一歩を踏み出していたんですね。
小学1年生で成功させた谷越えショット。
あれが「できた!」という自信の原点だったそうです。
毎日4ケタの練習量なんて、普通の子どもにはできません。
でも、英樹さんにとっては“遊びの延長線”。
その純粋さが、今の強さにつながっている気がします。

🏫 明徳義塾での修行──技術と精神の融合
松山市を離れ、高知の明徳義塾へ。
厳しい寮生活、徹底した練習、仲間との競争。
ここで英樹さんは、技術だけでなく“折れない心”を手に入れます。
高校時代には全国制覇。
ナショナルチーム入りを果たし、世界へ向かう準備が整っていきました。

🎓 東北福祉大学へ──震災と向き合いながら掴んだマスターズ切符
大学進学後、恩師・阿部監督との出会いが人としての成長を後押しします。
そして2011年、東日本大震災の年。
被災地への思いを胸にアジアアマを制し、マスターズ初出場を決断。
ローアマチュアを獲得したあの大会で、
「誰かの希望になれる選手になりたい」
そんな覚悟が芽生えたと語っています。

🚀 プロ転向と快進撃──国内から世界へ
2013年、プロ1年目で国内ツアー4勝。
史上初の“ルーキー賞金王”という快挙を達成。
翌年にはPGAツアーへ挑戦し、22歳で日本人最年少優勝。
そして2021年、ついにマスターズ制覇。
最終日の粘りは、今でも鳥肌が立つほどのドラマでした。

🥉 その後の挑戦──五輪銅メダル、そして2025年の新記録
2024年パリ五輪では、日本男子初の銅メダル。
報奨金600万円を若手育成に寄付する姿勢は、まさに“背中で語るアスリート”。
そして2025年1月の「The Sentry」。
72ホール合計35アンダーという大会新記録を叩き出しました。
「まだまだ強くなる」
そんな気迫が画面越しにも伝わってきました。

🏡 松山市への恩返し──ヒデキゴルフガーデンと寄付活動
英樹さんの根っこには、いつも松山市があります。
父が運営する「ヒデキゴルフガーデン」。
ここは、英樹さんが夢を育てた場所であり、今は次の世代の夢を育てる場所。
震災復興基金への寄付、バーディー1つにつき1万円の寄付活動、
五輪報奨金の全額寄付。松山市ふるさと納税サイトはこちら
“競技の先にある使命”を静かに、でも確かに果たしている姿に、胸がじんわり温かくなります。

👨👩👧 家族の支え──静かに寄り添う“秘密の絆”
2017年に結婚し、同年に第一子が誕生。
家庭について多くを語らないのは、ただ「報告する機会がなかったから」。
その控えめな姿勢に、英樹さんらしさが滲みます。
静かに支えてくれる家族の存在が、彼の挑戦を後押ししているのでしょう。The Sun
🌟 若い世代へ──松山から世界へ続く道
「日本の若い選手たちが、世界で堂々と戦えるよう願っている」
この言葉には、松山市で育まれた価値観と、世界で戦ってきた経験が凝縮されています。
英樹さんはこれからも、夢と希望を届ける“道しるべ”であり続けるはずです。

🔚 締めくくり──松山英樹=世界で輝く“地域の希望”
松山英樹さんは、世界で戦うアスリートでありながら、
いつまでも松山市の“息子”であり続けています。
「松山市の優しさと努力が、僕を育ててくれた」
その言葉と行動は、多くの人に勇気を与え、未来を照らし続けています。
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